教員紹介 ~生命環境系教授 町田龍一郎先生

―町田先生はどんな子どもだったんですか?

machida 僕は昭和28年に埼玉県の浦和に生まれました。28年ですからね。まだ「戦後」ですよ。浦和でもまだ生き物がたくさんいました。父は絵描きで、埼玉大学教育学部の美術学科の教員でした。

 今の僕とは違って、子どもの頃はとても体が弱かったんです。あんまり学校にも行ってないんです。だから他の子どもたちと一緒に遊ぶということができず、家の庭で、一人で虫と遊びました。虫が唯一の友達でした。クロスジギンヤンマ、トタテグモ、ホソハンミョウ、ルリタテハ、オオスカシバなんかがいたんですよ。雨の日は図鑑を見ていましたね。だから子どもの時から昆虫の名前はたくさん知っていました。

 家の庭にはサンショウなどがあったので、アゲハもたくさんきました。アゲハは大好きでした。アオスジアゲハ、キアゲハ、クロアゲハ、カラスアゲハ・・・たくさん飼いましたね。アオスジアゲハの幼虫はクスノキの葉を食べるので、埼玉大学の構内にあったクスノキの枝を守衛さんに追いかけられたりしながら折ってくるのが日課でした。夜になると幼虫が葉っぱを食べるざわざわという潮騒のような音が聞こえてきて、それを聞きながら寝ていましたね。
自分では覚えていないんですけど、子どもの時に「大きくなったら昆虫学者になる」と言っていたそうです。

―中高そして大学時代は?

 中学の時は家の近くにあった別所沼で、プランクトンを取って研究をしていました。高校に行ったら、鳥が好きになって、バードウォッチングなどをしていました。高校時代は陶芸、仏像彫刻にも興味がありました。授業科目では、他の科目はダメでしたが、生物だけはいつも100点でした。特に生物の勉強をしていたわけじゃないんです。好きだったから、授業中に全部覚えちゃったんです。

 大学は父親の出身校ということで、東京教育大学(今の筑波大学)に入学しました。大学時代はよく勉強する学生でした。生物の勉強はストレスなしですからね。楽しくて仕方なかった。いろんな研究室に顔を出して、先生方にいろいろと質問をして、一生懸命勉強しました。鳥が大好きだったので、よく冬鳥を見に、菅平高原実験センターに行ってたんですね。そしてセンターにいらした昆虫学の安藤裕先生につかまって、昆虫の世界に戻されたのです。

―昆虫学者になりたいっていう子は多いのに、実際になれる人は少ないです。どうして町田先生は昆虫学者になれたのでしょう?

 ともかく「生き物が好きだった」の一言に尽きます。私自身も研究者になるために特別な教育をされた覚えはないです。「生物学者になろう」と思っていたわけではなく「生物学者になっちゃった」のです。

 昆虫学者はなろうとおもってなるんじゃなくて、気づいたらなっていたというものではないでしょうか?生物学者になりたいと思って、自分にストレスをかけて何かをやるんなら、最初からやめた方がいい。特に、系統分類のような応用が利かない分野は「なっちゃった」という人じゃないとだめでしょうね。向いてない人はなれないんだと思います。といっても、決して「向いている」のが偉くって、「向いてない」のがダメというのではありません。方向が違うだけなのです!

―町田先生にとって学問とは?

 僕は、学位をとったあと、6年間は無職でした。食べていかなくてはいけないので、埼玉の実家に戻って、血液検査会社で夜間アルバイトをしていました。週に4回、夜10時から朝10時まで働き、帰ってから15時までは昆虫の解剖とスケッチをしていました。残りの日は採集です。

 昆虫の研究をしていると、どのような環境に生息しているのかも重要なので、植物の勉強も独学で始めました。採集時には、どんな木がどこに生えているのか等も調べることを続けているうちに、なんとなく植物についてもわかってきました。

 昆虫の祖先型に一番近いといわれる、イシノミ目が私の研究テーマでした。翅を獲得していないほど、非常に原始的な昆虫類です。ヤマトイシノミという種類、いろいろな文献はあるけど、実体がよく分からない種類でした。そのような場合、記載の元になったタイプ標本が採集されたところの「ヤマトイシノミ」を先ず調べなければなりません。そのタイプ産地(タイプ標本が採集された場所)は甲府でした。そのため、甲府に行って、体長10-13mmのヤマトイシノミを探しまわりました。一日30-40キロ、車の免許がなかったので、徒歩で、ね。七転び八起きって言いますけど、7回目までは見つからず、8回目ではじめてヤマトイシノミを見つけたんですね。満足して谷川の岩に腰掛けて、弁当を食べていたときに、不思議な現象が起こりました。今まで、単なる緑の山に見えていた風景が、これはクスノキ、これはカシ、これはシイというように、一つ一つの木に名前がついて、一本ずつ色が違って、それぞれが主張しているように見えたんです。「自分は今、植生が立体的に見えてしまった!生態系が見え始めた!!、自然がどんどん分かってきた!!!」と感じ、そのときに「生物学をやっていてよかった!!!!」と思いました。ガラッと自分の中の何かが変わった瞬間です。

 菅平高原実験センターでは、「動物分類学実習」といって、昆虫の分類を中心とした野外実習を毎年行っています。一週間の実習を終えると、昆虫の35目を分類できるようになるんです。分類が出来る、見分けが出来るとどうなるか?これまで、単に「ムシ」としてみていた生き物が、区別できることで、「ムシ」ではなくなる。世界観が変わるんですね。

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ヤマトイシノミ(体長10-13mm)

 私は昆虫の比較発生をずっと研究して、生物の進化についてずっと考え続けてきました。その視点で、自然も、世の中も、そして人間関係も見ていることに、あるとき気づいたんです。自分が選んだ学問を通じて、世界を見ているんですね。学問というのは自分の中の「○○観(自然観、世界観、社会観、人生観など)」をはぐくむものだと気づいたんです。このときに、学問をやっていてよかったと思いました。

 私にとって、学問と言うのは、自分の中の「○○観」を磨くもの、自分の「教養」を高めるもの、自分自身を育むものなのです。学問とは、いい大学に入る、いい職について経済的に豊かになるとか、社会的なステータスを得る、有名になるためのものでは決してありません。自分を高め自分を美しくするためのもの、私はそう思います。